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東京高等裁判所 昭和44年(う)685号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人堀岩夫の控訴趣意書に記載されたとおりであるからこれを引用する。

所論は本件事故の原因は、本件交差点において直進車両の運転者深沢良平が被告人のなした方向指示灯による右折の合図を確認せず、漫然時速五〇粁で進行した過失により、既に右折している被告人運転の普通貨物自動車の左前側方に衝突したことにあるのであって、被告人には道路交通法第七〇条にいう「道路交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転」する義務に違反した過失の責はないから無罪たるべきであり、これを有罪とした原判決は事実を誤認したものであるというのである。

よって考察するに本件起訴状記載の公訴事実(訴因)は

「被告人は昭和四二年一二月一九日午后二時二〇分ころ普通貨物自動車を運転し印旛郡八街町八街い七六番地先道路上を成東町方面より千葉市方面に向い時速約四〇キロメートルにて進行中右前方の路地に右折進入するに際し前方の安全を確認しなかった過失により進路前方を直進して来た深沢良平(当三七年)の運転する普通貨物自動車に自車を衝突させ、もって道路、交通の状況に応じ他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなかったものである」

とし、その罪名及び罰条は、道路交通法違反、同法第七〇条、第一一九条第一項第九号同条第二項というにあるところ、道路交通法第七〇条の安全運転義務違反の罪は、極めて包括的に犯罪構成要件を規定しており、特に「他人に危害を及ぼさないような速度と方法」で運転することの解釈いかんによっては極めて広汎な適用を見ることとなるべく、道路交通状態の複雑多様であることはこのような罰則を設けてこれを規制することをやむを得ないものとしているのではあるが、他面車両等(特に自動車)交通の社会的有用性から考えてその運転に伴う或る程度の危険は、社会生活上これを甘受すべく、安全運転義務違反の行為もその危険が具体的に高度である等特段の事情の存しない限り、直ちにこれを処罰する趣旨ではないと解すべきである。そして道路交通法第七〇条所定の安全運転義務違反の罪の構成要件が右のように広汎な内容を持ち、道路交通法各条に規定されている個々の安全運転義務違反の罪のほとんどすべてを包括するものの如く解し得られることにかんがみると、右第七〇条違反の罪は同法各条に規定される各種の安全運転義務違反の罪の補充規定であると解すべきであって、すなわち、安全運転義務違反の内容が、実質的に各条所定の安全運転義務違反(故意犯)そのものである場合には、当該各条違反の罪を構成するに止まることはいうまでもなく、それ以外の安全運転義務違反(故意犯)の行為について右第七〇条第一項の罪(故意犯)の成立があり、過失により各条所定の安全運転義務に違反した場合については当該各条に過失犯を処罰する規定があるときはその適用があることはいうまでもないが、過失犯を処罰する規定のない場合には、直ちに補充規定たる右第七〇条違反の過失犯の規定の適用があるものではなく、原則としてその故意犯につき定められた刑が右第七〇条の安全運転義務違反の過失犯の刑(同法第一一九条第一項第九号、第二項、罰金五万円以下)よりも重い場合にのみその適用があり、特にその故意犯につき定められた刑が、右第七〇条の安全運転義務違反の過失犯の刑よりも軽い場合にもその適用があるのは、その過失行為の危険性が具体的に高度であるなどの特段の事情の存するとき(例えば同法第一一七条の二第一号第六五条の酒酔い運転の罪を構成するに至らない程度の酒気帯び運転が伴う場合など)に限るものと解するのが相当である。蓋し、同一所為に対する過失犯処罰の規定がないのに直ちにこれを補充規定の過失犯に問擬することは適当ではなく、また一般にある所為の過失犯を、同一所為の故意犯よりも重く処罰するものと解すべき合理的根拠に乏しいからである。

これを本件について見るに、記録及び当審における事実取調の結果に徴すると、被告人は昭和四二年一二月一九日午後二時二〇分頃普通貨物自動車を運転して千葉県印旛郡八街町八街い七六番地先道路を成東町方面から千葉市方面に向い時速約四〇粁で進行し右側路地に進入しようとして、その約三〇米手前で自動車の方向指示灯により右折の合図をし、時速を約二〇粁に減じ徐行して右折を開始しようとしたところ、反対方向より時速約五〇粁で進行し同交差点を直進しようとして接近して来た深沢良平運転の普通貨物自動車を認めたが、かかる場合車両運転者は、同車との距離及びその速度を注視し、直進車が交差点に入ろうとする状況にあるときはこれを避譲し優先させてその進行を妨げないようにしなければならない注意義務があるところ、これを怠った過失により被告人の車両の右折の合図に気付かずそのまま直進して来た右深沢運転の対向車の前部と被告人運転の車両の左側方を衝突させるに至らしめたことが認められるのであって、これによって見ると、本件訴因(本位的訴因)は形式上は過失による安全運転義務違反の罪(道路交通法第七〇条の過失犯)ではあるけれども実質上は同法第三七条第一項にいう「車両等は交差点で右折する場合において、当該交差点において直進し又は左折しようとする車両等があるときは、第三五条第一項の規定にかかわらず、当該車両の進行を妨げてはならない」との規定に違反する行為の過失犯の責を問うものであり、このことは第一審における検察官の論告からもうかがわれるところ、右第三七条第一項違反の罪は故意犯であって、その過失犯を処罰する規定を欠き、しかもその罰則たる同法第一二〇条第一項第二号の所定刑は三万円以下の罰金であって同法第七〇条違反の過失犯の罰則たる同法第一一九条第一項第九号第二項の所定刑である五万円以下の罰金よりも軽いのであるから特段の事情のない限り被告人の本件行為を同法第七〇条違反の過失犯として処断することは許されないものといわなければならない。しかるに本件においてはこれを同法第七〇条の安全運転違反の過失犯として処罰するに足りる特段の事情を認めるに足りる証左は存しない。果して然らば本件訴因は罪とならないものといわなければならない。さればこれを道路交通法第七〇条違反の罪に問擬した原判決は法令の解釈適用を誤ったものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから論旨は理由がある。

よって刑事訴訟法第三九七条第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により被告事件について検察官の請求による予備的訴因の追加を許可した上、本来の訴因の罪とならないことは前示説明のとおりであるから、予備的訴因につき更に次のとおり判決する。

本件公訴事実に対する予備的訴因は、

「被告人は昭和四二年一二月二九日午後二時二〇分頃普通貨物自動車を運転し印旛郡八街町八街い七六番地先道路を成東方面より千葉市方面に向い時速約四〇粁で進行中、前同所付近交差点において右前方の路地に右折するに際し深沢良平が普通貨物自動車を運転し反対方向から時速約五〇粁で直進しようとしているのに一時停止しないでその進行を妨げたものである」

というにあり、これに対する罰条は道路交通法第三七条第一項第一二〇条第一項第二号というにあるところ、記録を調査し当審における事実取調の結果に徴して考察しても、被告人が直進しようとする深沢良平の車両の進行を妨げることを認識しながらその行為に出でたこと、すなわち、その進行を妨げようとする故意があったことはこれを認めることができないので予備的訴因は犯罪の証明がないものといわなければならない。

よって本件公訴事実の本来の訴因につき刑事訴訟法第三三六条前段、予備的訴因につき同条後段を適用して被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長判事 遠藤吉彦 判事 青柳文雄 菅間英男)

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